土木に個性の美を

高橋 裕

工学博士
東京大学名誉教授
芝浦工業大学名誉教授
河川工学の第一人者であるとともに、河川・水資源工学に
歴史的・文化的視点を導入し多方面で活躍。

 

経済効率最優先の時代

 1945年、敗戦によってドン底に落ちた日本は、アメリカの圧倒的経済力を知らなかったことを反省した。第二次大戦以前は西欧に範を求めて、学問、制度の近代化につとめたが、戦後はアメリカに追付けとばかり、経済大国への道をまっしぐらに進み、その目的を達した。戦前の土木近代化も世界史に例を見ないほどの急速な進歩であったが、戦後“驚くべき日本”と云わせた急速な経済発展を支えたのは、土木技術の革新に支えられたインフラの整備であった。

 その場合の戦略は徹底した機能主義であり、経済効率最優先であった。1950年代後半から70年代前半にかけての公共事業の発展は凄まじかった。しかし、バブル以後の公共事業もまた、高度成長期の方針の連続であったことが、今日の事態を招いている。日本は第二次大戦を日露戦争と同じ方法で戦って敗れた。ガダルカナルの夜襲の連続は日露戦争の旅順の戦いの再現が惨敗の原因であった。日本海海戦の勝利は、戦艦主義からの脱却を不能にした。近くは、オリンピック、ソルトレークの不振は“長野”で戦ったからではないか。ここでも歴史の教訓が生かされなかった。

画一化から個性の確立へ

 経済効率優先は、土木事業の画一化を進行させ、個性は埋没した。高度成長期には類似の土木構造物や土木施設が次々と設けられた。新技術を駆使した土木構造物が建設されると、到る処で同様なモノが立ち上がり、無味乾燥化した趣がある。

 しかし、日本人の物づくりの心には、古くから自然と

の調和、個性の尊重があった。千差万別にして微妙な事業が地域ごとの自然との調和を考えるならば、土木構造物も施設も個性的ならざるを得ない。自然を征服、制御しようなどとは毛頭考えなかった江戸時代には、自然に順応しようとした土木構造物は自ずと景観にすぐれ、個性ゆたかであった。斜走堰、めがね橋、水害防備林、霞堤は自然との調和を重視しているが故に、巧まざる景観美をかもし、歴史の風雪に堪え個性を主張している。

 明治以降の近代化過程の土木事業においても、過度な画一化を避け、個性の発揮に成功した例は決して少なくはない。関東大震災後に架けられた隅田川橋梁群はセットとしての個性を見事に発揮している。明治から昭和初期に建設され、いまも親しまれている構造物は、いずれも個性豊かである。函館の笹流ダム、多摩川の羽村堰、琵琶湖疏水の諸構造物、香川の豊稔池、竹田の白水川ダムなどは、戦後高度成長期よりはるかに貧しかったころの作品である。これらはいずれも強い個性ゆえに長く後世に伝えられるであろう。

 

日本特有の土木文化を

 土木の仕事は、自然との調和、共生、換言すれば、それぞれの風土を活かす仕事ができてこそ、その歴史的使命を果たすことができる。戦後高度成長期は、機能が個性を押しまくり、土木は経済に支配され、文化、歴史、風土を忘却させた。

 バブル経済以後の土木の価値観の目標は、経済ではなく文化であり、成長ではなく環境であり、突進ではなく、堅実な歩みである。具体的には、日本特有な自然を引き立たせる土木施設であり、特に自然の微妙な変化を演出できる構造物でありたい。自然との調和関係を軽視する土木の構造物や施設では、結局、機能とか経済効果、もしくは強度や耐久性しか考慮しないことになる。

 幸いにして日本の風土は、北海道から沖縄まで周辺海洋も含めて、四季おりおり千差万別である。そのきわめて多様な個々の自然との調和に適合した技術の練磨によってのみ、日本固有の土木文化が繁栄するであろう。

わが国は古来借景を重視してきた輝かしい伝統がある。土木構造物も施設も、その設置に当っては借景を活かし、かつ土木施設そのものが見事が借景となるべきであり、それを乱す侵入構造物を排除する地域計画を実行してこそ、21世紀における存在感を示すことができる。その借景が、土木施設周辺の生態系、地学的条件をも加味してこそ、風土工学成立の条件が整うであろう。