地名と地域づくり

谷川 健一

日本地名研究所 所長

東京大学文学部卒業後、平凡社に入社

「風土紀日本」「日本残酷物語」などの編集に携わる。

雑誌「太陽」の初代編集長を経て執筆活動に入る。

1981年川崎市に「日本地名研究所」を設立、その所長として現在に至る。

この間、近畿大学文芸学部教授を8年務める。

受賞 芸術選奨文部大臣賞、第2回南方熊楠賞

   熊本県近代文化功労賞、川崎市文化賞

 

私に与えられたのは「地名と地域づくり」というテーマである。そこで、目下政府が押し進めている全国の市町村大合併を問題にしようと思う。
 政府は1999年12月、新しい行政改革大網を決め、全国の市町村を2005年まで、現在の3分の1である1,000以下にしようと、合併を強引に進める方針を定めた。これは明治21・2年の町村大合併、また戦後間もなくおこなわれた「昭和の大合併」につづく三度目の「平成の大合併」である。さらにこの間、昭和37年には住居表示法が施行され、市や町の由緒ある地名の多くが消えた。
 一昨年から始まったこの大改革によって、合併市町村の新しい名がぞくぞく誕生することになったが、私ども日本地名研究所が年来主張している地名の命名に必要な配慮が全くなされていない新市、新町の名がしばしばみられる。
 その命名は、あるいはいたずらにかな書きにし、または安易に方位方角を冠し、あるいは合併市町村の頭文字をとって合成し、あるいは根拠のない瑞祥地名をとるなど、あまりにもほしいままな命名が横行している。
 たとえば、埼玉県の浦和市、大宮市、与野市が2001年に合併して「さいたま市」となった。「さいたま」と平仮名を採用したのは、市名から受ける感じを、やさしく、柔らかくする意味があったというが、平仮名は表音文字であるので、その内容を的確に知ることができない。「さいたま」は「さきたま」を音便化したものであるが、平仮名の表記では、その経緯が分からない。さきたまは埼玉であって、その中心であった行田あたりまでは古代には東京湾が深く入り込み、また利根川や元荒川の流路にもあたっていた。万葉集には「埼玉の津に居る船の風をいたみ網は絶ゆとも言な絶えそね」とある。したがって、埼は入江や港に突き出した場所で、岬をさす。玉は魂で、岬を守る神のことである。それが埼玉郡の総社で式内社の行田市にある前玉(さきたま)神社である。このことを考えると、埼玉という字は古代の歴史的、地球的位相を反映しているもので埼玉古墳群も付近にあり、当時をしのぶ重要な手がかりとなる地名である。その漢字表記を廃して「さいたま」と平仮名にしたことによって、過去と現在は断絶されることになったのである。
 平仮名、片仮名表記はほかにもある。「つくば市」(昭和62年)「ひたちなか市」(平成6年)などがあり、平成14年には「さぬき市」が誕生。これは香川県津田町、大川町、志度町、寒川町、長尾町が合併した新しい市であるが、それを讃岐一国を代表する「さぬき」という名をつけた。これは誰が見ても明らかに誇大広告であり、極言すれば地名の詐称である。このほか香川県には「東かがわ市」も誕生する予定。合併する香川県引田町、白鳥町、大内町、は県の東端の三町にしかすぎないのに、これでは香川県の東半分のかなり広範囲な市町村が一緒になると混同されかねない。
 また昨年は、東京都の保谷市と田無市が合併して「西東京市」が誕生したが、これも東西南北など方位を乱用する悪しき例である。方位というのは、どこに基点を置くかによって見方が変わる。非常に恣意的で不安定な命名である。西東京市のとなりに新たな市ができたら、今度は「西西東京市」になるとでも言うのか。
 こうした例を挙げれば、きりがない。しかしこれまでの過去の数多くの失敗例を教訓として生かそうとする姿勢は行政当局にきわめて稀薄である。
 こうした軽薄な風潮とどう立ち向かうか、これは私共地名研究所にたずさわるものに課せられた仕事である。日本の風土と地名とは不可分の関係にある。醜悪な地名は風土の美を傷つけることになることを、多くの日本人は身をもって経験してきている。私共は、日本人の誇と美意識は地域づくりなしにしては実現されないと考えてえている。その中心が地名である。