アジアの風土と民族造形
金子 量重
名誉学術博士
35年間にわたりアジアのほぼ全域を延べ350回以上調査。
主に民族造形の調査研究を通して、アジア諸民族の生活文化の本質を極め、民族造形学を確立。
アジア民族造形文化研究部所長。
アジアの民族造形
人は気象、地形、地質、河川、資源などに恵まれた土地に住み、採集や漁労や狩猟や耕作に精を出して食糧の確保につとめた。自然の恩恵の偉大さに感謝するとともに、除魔招福を願って、太陽、月、星、雲、風雷を司る宇宙や、自然を支配する諸霊へ深い祈りを捧げる信仰を心のよりどころに、自然の摂理にかなった自分の行き方を守りつづけてきた。人の暮らしぶりを調べる方法として、日々に使われる“もの”を通しての考察こそ重要だと思うようになった。これまでの日本の歴史教育は、あまりにも政治や経済や権力者の勢力争いに重点をおきすぎたため、ごくあたり前に生きる人々の暮らしを等閑視してきた。これでは「人間とは」を学ぶ道には程遠いのではないか。生活文化を学ぶには、1)人間が書いた文字資料すなわち、書簡、日記、文書、碑文などの文献類、2)古代より人が言葉によって伝えてきた神話、伝説、民話などの口承文芸、3)人間が日々の暮らしの中で用いた、広い領域に亘る“もの”すなわち造形資料である。私はこの第3を対象に調査を進め資料の収集を行ってきた。しかし、1)にも2)にも数多くの“造形”資料が存在する。それらの“もの”を究明することで、より明解になる可能性も高い。
具体的には生活の拠点としての住居をはじめ、その中で用いられる家具調度の類。寒暑や性別に合わせたり儀礼に必要な衣服、栄養源であり味覚を楽しめる飲食物やその貯蔵、煮沸、飲食用の器類。農、漁、狩猟、牧畜、酒造、建築、機械など生産の道具。さらに冠婚葬祭や娯楽としての芸能で用いる楽器、衣装、仮面、道具など。それに読み書きや数を学ぶとともに、子どもの知育や情操を高めるための遊びに使う玩具や人形など、暮らしに関わるすべての領域が対象になる。それほど“もの” には自然の恵みと人々の英知が秘められている。このような広い領域を対象にしなければ、「人の生きざま」を見確かめることはできない。現代の学問はあまりにも専門家し細分化したために、全体像が見えないし、人間の生活文化を総論的にとらえる道が閉ざされてしまった感が深い。太古から人は生きるために、大地や山や川や海から食糧(穀類、果実、野菜、鳥獣魚介類)の確保を計ってきた。同時にそこから貴重な素材を得て、生活を維持するためにさまざまな造形活動も行っている。造った“もの”は、自身や地域の人々の暮らしをより安らかに、かつ豊かにする道具として役立てた。これなくして人の生活は一日たりとも成り立たない。しかし、使っているうちに不便を感じたり、新たな道具に応じて試行錯誤を繰り返しながら、素材や形を変えて造り直した場合もあった。そればかりか、気象条件の変化や諸種の儀礼や年中行事、さらに他民族からの影響や社会の仕組みの変容などに合わせて、新しい形を開拓するための工夫や努力を重ね、種類が多様化したことも容易に想像できよう。
造形に必要な素材は天然の資源に求めるが、何を造るにはどのような素材を選び、それをどう加工するかを決める。その中で、造り手は素材の選択眼を育て、道具を開発し多くの造形技法を生み、錬磨の機会が増し必然的に匠の技は上達する。素材となる植物、動物、鉱物は種類が多い上に、多様な性質を持っている。それらの性質を正しく認識した上で、季節に合わせて素材を採取し、正しく利用できる能力を備えた者こそ、優れた技能の持ち主としての資格が得られる。匠人は修練の成果を正しく行使することに大いなる誇りを持っていた。その誇りが確かな“もの”を生み、人の暮らしを豊かにし、孫子の代まで使い続けることができる品として完成する。一方、造り手の成果を冷静に観察し仕上がりを確かめた上で、それらを選んで身近に生かす使い手の眼と心も、またよいものを生む重要な条件となる。それらの暮らしを維持するために造った“もの”を熟視すると、その奥に自然への対応の仕方や環境の保全や、資源の再生保持に心をちくしたことが読みとれる。例えば竹は切っても毎年新しいシュートが芽生えるので、枯渇にはつながらない。また採取する時期も、水分のなくなる11月から翌年の2月までが好機なのである。
“もの”は大きく分けて、線、形、色、模様で構成されるが、それらには自然と人間との深い関わりが読みとれる。「線」は目に映るものを手本に太く、細く、濃く、薄くあるいは長くも短くも描きのびやかで曲直自在だ。「形」は用途に従って生まれる。「色」はうつろいゆく自然の動態や、人が胸の奥に秘めた情念に基づいて定まり、「模様」は太陽、月、星、雲、風雷などの宇宙や、樹木、花、草、実、川の流れ、鳥、獣など自然から受け取るが、中には魔を払い除け、身の安全を願う霊性への祈りも多い。でき上がった線、形、色、模様には明らかな差異が生ずる。それらにはすべて「民族性」や「地域性」や「時代性」が宿っている点を見逃せない。その中でもっとも強く表われるのが「民族の造形感覚」つまり、土着の生活様式や精神性や好みともいうべきもので、これこそ地域に根ざして生きる人間のアイデンティティーであり、造形の本質なのである。
美術工芸から民族造形へ
これらの“もの”に対する従来の概念では絵画や彫刻は「美術」、他の造形技法による仕事は「工芸」の語にそれぞれ一括され、これが主流をなしてきた。一体美術と工芸の境界線をどこにおくのだろうか。この概念はもともと西欧の「art and craft」の訳語で、明治以降わが国で除所に使われだした用語である。本来ラテン語で、人の手が加わったもの「ars」を指し、本来は英語のTechnology(技術)と同じようない意味で使われていた。そうであれば、「芸術」ではなく「造形」と訳すべきではなかったのか。当時の外国語の理解度や翻訳の怪しさが指摘できよう。これを受け継いで近代ヨーロッパで使われた「ART」は、個人作家による西欧の絵画、彫刻などに様式の基準をおいた。彼らの価値観に合致しないものを「野蛮」、「未開」、「奇妙」と称して蔑んできた。世界には多様多元な人が住み、それぞれに独特の価値観とすぐれた造形力を持っている。それを無視した白人たちの思いあがった思想とでもいうべきではなかろうか。生活信条や“もの”については、特定の人間集団や国に基準をおいて、他の地域の文化を見たり規定すべき性質のものではない。前述したように“もの”は元来人間の暮らしに基づいて生まれた。にも関わらずわが国の造形教育はこの間違った芸術至上の風潮を、公教育機関が無批判にとりいれ現代に継承してきた。そのため日本人にアジアをはじめ欧米以外の地域や民族文化を蔑視する風潮を植えつけてしまった。元来広く世界に生きる民族の生活にこそ、教育の基本理念をおかなければ感覚や平等の精神は育まない。それを西欧とくに印象派の絵画にだけ重点をおいた芸術教育は、日本人の西欧コンプレックスを助長し、かつ自らの視界を狭めた。アジアの絵画にも印象派を遥かにしのぐ絵画があるのに、それらを見せなかった。これでは、育つべき子どもたちの素直な“ものを見る目”を育てず、“本物を見抜く力”を弱めてしまった。
江戸時代(1603〜1868)には、衣、食、住すべての領域にわたって、日本文化の基盤の確立に繋がるすぐれた“もの”を完成させてきた。それらには日本人の土性骨のような逞しさと、優しい風格がにじみ出ており、今なお私たちの暮らしを支えている。だが昨今、これら職人たちのなかにも美術の名に憧れて、作家を志望する傾向が強くなった。そのできばえたるや、創造というより、先人や外国作家の模倣に堕しているものが目立つ。どうも現代の日本人は「芸術」の語は、わが国では「高級なもの」の代名詞になった感さえある。これは大いなる錯覚であり誤ちである。かつては腕を磨き、ひたすらその道を生き抜いて優れた人を「職人」とか「匠」とよんで高く評価した。腕のよい親方のもとでの日々の修業を積んで匠人になれるのだが、そこには血が滲みでるほどの努力と忍耐が伴った。それがこの頃では芸術大学を出ただけで、一人前の仕事ができるとい勘違いする者が増えた。まして「芸術家」などと称したり、肩書きだけに媚びる輩が増えたのは、悲しむべき現象である。もっと毎日の暮らしを見つめるべきだし、仕事の奥に潜む精神性にこそ、思いを馳せなければなるまい。展覧会への出品や賞を意識しての、作為に満ちたものがあふれだした。それでは本末転倒だが、これが未来への展望を牛名手混乱する現代日本の潮流なのかもしれない。となると、己れの主義、主張を形に表現する個人作家の仕事とは製作目的の違う、民族の生活に基盤をおいた“もの”造りに取り組む健全な匠人がいかに多いことか。地球上、個人作家の作品よりも、人の暮らしに深く関わって造られる民族性の濃いものの方が多く豊かさに満ちている。そこで私は、あらゆる形を造る普通名詞の「造形」に政治概念の「国家」ではんく、世界の人々を平等に見られる「民族」を冠して、『民族造形』の用語を創って前述のように定義した。
これまで、“もの”の分類は、陶磁、染織、木漆、編組品、石、紙、金属といった材料や技法を主にしてきた。それでは造り手の側にのみ重点が置かれる。すでに述べたように“もの”は、人の暮らしを維持するために役立つ性質のものだ。となると、使う立場からの分類がなければならない。私は在来の美術工芸はもとより、考古学、民族学、民俗資料、美術史といった狭量な学問ジャンルに基づいた方法論から脱却し、ものを“もの”として率直に見た上で、総合的に考察する次代へ変えたいと思う。これだけにとどまらず、絵画や彫刻、音楽や芸能、信仰の場で用いる神仏像や経典や祈祷具、占いに関するもの、図書や地図や文房具、子どもが遊ぶ玩具や人形、そして生産に関わる諸道具など、人間の営みに豊かな感性を育む、広い領域の“もの”をアジアの人々がどう造形してきたかを真剣に考察するときにきた。その上でこれらを対象とすることこそ新しい人間学の基礎だと確信する。なぜかといえば『民族造形』の範囲は、人類が生活をはじめた原始の時から今日までを対象とするからである。地域的な特色や歴史的な変遷過程、そして庶民から支配者にいたるすべての人間が用いた“もの”を等しく対象とすることで、人間の暮らしの全体像の把握が可能になるからである。かかる基本理念のもとに、下図のような分類を試みた。
アジアの生活文化を「民族造形展」で多くの人に紹介
私はこのようにして、地球上日本が位置するアジアを正しく理解することの重要性に鑑み、“もの”を対象にアジア諸民族の生活文化を足と目で学び資料を収集してきた。その上で「アジアの民族造形」を老若男女国籍に関わりなく、誰にも理解してもらえるように、展覧会や講義を20数年に亘り国内を巡回した。さらに、国連教育科学文化機構(UNESCO)主催での「無形文化財に関する国際協議」(パリ)や日本政府・UNESCO主催「アジア太平洋無形伝統文化保存国際会議」(東京)ではアジア13カ国の代表者に「アジア民族造形ネットワーク」さらに出席者全員をアジア民族造形館(岩手県野田村)に案内して、具体的な解説を行った。海外での展覧会は、韓国、中国、ミャンマー、カンボジアでも開催し、多くの方々の関心を高めることができた。
この「民族造形展」は前述の八つの主題に基づいた、「衣の民族造形」、「食の民族造形」、「祈りの民族造形」等多様な角度からの展示が行える。また素材を焦点にあてれば、「土の民族造形」(東京・文化学園服飾博物館 1999-2000)、「木の民族造形」(岐阜県・飛騨世界生活文化センター 2001)、「漆の民族造形」(兵庫県立歴史博物館 2004=予定)などのように限りなく展開することができる。さらに大きく、「東北アジア」、「東南アジア」、「南アジア」、「西アジア」といった地域別の展示も行ってきた。韓国、ベトナム、インド、トルコといった国別から、個々の国を基盤で支えてきた「ミャオ族」(Myao=中国)、「シャン族」(Shan=Myanmar)、「ネワール族」(Newar=Nepal)、「パシュートゥーン族」(Pashtun=Afganistan&pakistan)、「ウズベク族」(Uzbek=Uzbekistan)といった民族別紹介もできる。これらの「民族造形展」を通じて、私たち日本人にとって歴史的、地理的、民族的に関わりの深い、観光、中国、東南アジアなどの国々と、彼らが築いた生活文化を通じての認識と、相互の比較も充分に行い得るのである。
日本で「国際化」が声高にさけばれて久しい。だが、日本人が真の国際化を果たしているかといえば、それは残念ながら単なる「欧米化」にすぎない。「もっとも近く歴史的に関わりの深い「アジア」についての認識を欠落しすぎているからである。それは明治以降の西欧文明の急激な流入と、戦後のアメリカ化の大波にのまれたままになっていることに原因があろう。政治、外交、経済、教育界でも長い間アジア認識を欠いたままだ。欧米との交流も必要だが、それ以上に日本人にとってアジア認識の高揚は重要なのである。それにはアジアの諸民族がどのような自然環境のもとで、いかなる生活を行ってきたかを学ぶことが基本である。それはごくあたりまえの生活をしている人々の実像を知りたいとの思いからはじまったからである。それを多くの人に紹介する方法として、暮らしに即した展示がよいと考えてきた。しかし長い間日本の博物館や展覧会を見てきたが、考古学や美術史や、西欧の絵画彫刻に偏りすぎてきた。これも必要ではあろう。だが人間がどう生きてきたかという実像を知るには、あまりにも狭い展示のように思えた。昨今、「アジア」に関する重大事件が発生し、それに伴う報道も多くなった。だが、指導的立場にいる人々のアジア認識は実に低い。それを是正しない限り、日本に対するアジア人の信頼は得られない。
それには政治外交問題を論ずるためには、各国各民族の生活文化に関する実情を正しく認識するための基本情報を確保することが重要である。