車優先から人間優先の道づくり

 

 齋藤 宏保

ジャーナリスト

日本放送協会 会友。

東京農工大学大学院客員教授(生物システム応用科学教育部)

昭和45年慶応義塾大学法学部法律学科卒。

NHK(日本放送協会)入局。仙台・いわき・北九州各放送局を経て、

昭和56〜63年まで東京社会部記者。

この間、建設省・国土庁記者クラブを3年間担当。

昭和63年大阪放送局ニュースデスク。

平成6年首都圏部副部長として「特報首都圏」のキャスター。

著書  「重い遺産」「森が危ない」「土地はだれのものか」

「緊急・土地改革 地価は下げられる」

「巨大建設の世界1巻〜5巻」「飲み水が危ない」

「地球の水危機」 他論文多数

 

国土交通省は、車社会の急激な進展への対応に重点を置いた、これまでの“車優先”の道路づくりを反省して、これからは「自動車で移動するみち」から「歩いて楽しめるみち」への転換が必要だとして、平成15年度から『くらしのみちゾーン』づくりに乗り出した。

 また「美しい国づくり政策大綱」が作られ、この6月には「景観法」が成立した。

 果たして、これで市街地や暮らしの場の道路が本当に車優先から人間優先になるのか、地域が求めるような“安全で心地良い道路”が実現できるのだろうか。

 本当に実現できるかどうか、実現するにはどんなハードルを越えなければならないのか、またどんな点が危惧されるのか、その鍵を握るいくつかの点や課題を指摘したい。

一つは、「何のために誰のために」という視点が不十分なような気がしてならないことである。行き過ぎた車社会の現状をきちんと受け止めるところが出発点だが、どうも政策の“新味だけ”が、一人歩きしていないだろうか。例えば路面電車。欧米では、路面電車の

復活は人間優先の考え方から出発したが、日本ではノスタルジアの面がかなり強いのではないかと思われる。すなわち肝心の基本的な理念というか、哲学というか、十分に議論が尽くされていないのではないかと思うのである。トランジットモールにしてもそうである。

公共交通機関を優先してマイカーなどを市街地から締め出す手法だが、道路の形状をS字型にくねらすことがままある。しかし、なぜくねらすのか、くねらすと、どういう効果が期待されるのか、十分に考察されないままに日本に取り入れたのではないかと思われる。

 二つ目には、人間優先といいながら、一体どう実現するのか、心地良さを演出する個々のパーツに対する理解が不十分ではないかということである。象徴的なのは、“街路樹”である。街路樹は、車道側ぎりぎりに植えられている例が殆どで、客土されているのは地面から1.5bの深さまでで、その周辺は建設残土が多い。すなわち景観を形づくる、歩く人に心地良さを与える街路樹の生育条件は考えられていないのである。緑があればいいのである。また歩道の材質についてもどう考えるかである。ブロックは継ぎ目が車椅子の人にはボディーブローのような衝撃があるという。しかも耐久性もない。またアスファルトは、土と比べて衝撃を和らげる効果が薄いため、高齢者にはこたえるのだという。

 三つ目には、自治体が本当にやる気があるかどうかである。私の住む所沢の住宅地では、今、猛スピードで走り抜ける通過交通の騒音、振動が大きな問題になっているが、所沢市からは国土交通省の新施策「くらしのみちゾーン」づくりについては、情報が全くない。

自治体の積極的な姿勢が問われる。その上で、地域住民と一緒になって協力・連携するという姿勢がなければうまくいかない。特に、交通問題は、行政区域全体で車の流れを管理しなければ

さらに四つ目として、アドバイザーというか、コーディネーターというか、専門知識を持った人材をどう確保するのかである。なぜ人間優先の道路づくりが今重要なのか、地球温暖化を防止する大局的な観点から身近な手法(ハンプやクランク、ボラード等)まで、全体的な設計図が描け、細部にもアドバイスができる人材をどう育成するかである。

そしてもう一つ、ハードばかりでソフトの視点が欠落していたことが、味気ない道路を作ってきた。“歩いて暮らせる街づくり”ということが最近よく言われるが、現実に歩いて楽しい道路は数少ない。自然(風や光、動植物の息吹)との対話や安らぎ、人の温もりを感じる道路となるともっと少ない。自然に寄り添うという自然への謙虚さも重要である。

 大量生産・大量消費の“延長線”のこれまでの画一的な道路づくり。地域の伝統文化の連続性というか、今回のテーマである“風土”というか、地域の個性を喪失したことにもその原因があるような気がする。地域の誇りを大切にしてほしいものである。

最後に、道端で会えば笑顔で挨拶が交わせるような道づくりを皆で進めたいものだ。