道路と町並み景観

 

 田村 喜子

作 家

特定非営利活動法人 風土工学デザイン研究所 理事長

日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員

国土交通省独立行政法人評価委員

京都府立大学文学部卒

都新聞社報道部記者を経て作家活動に入る

琵琶湖疏水をつくりあげた男たちの苦闘を描いた

「京都インクライン物語」で第1回土木学会著作賞を受賞

著書 「北海道浪漫鉄道」

   「剛毅木訥・鉄道技師藤井松太郎の生涯」

   「分水路・信濃川に挑んだ人々」

   「関門とんねる物語」「京都フランス物語」

   「海底の機」「五条坂陶芸のまち今昔」

   「浪漫列島『道の駅』めぐり」

  「野洲川物語」他多数

 

心の風土記的に述べれば、京都市内に生まれ育った私にとって、道路の原点は「京の大路小路」といえる。本来、京都で大路といえば、平安京のシンボル道路・朱雀大路であろうが、現在の京都のメインストリートとなっている烏丸通りは、都大路と呼ぶにふさわしい高い格調を備えている。北大路、西大路など大路のつく道路がいまもあり、私の生家のある東洞院通りも平安時代には東洞院大路とか洞院東大路と呼ばれて、院や内裏が堂々と構えられていたといわれている。

 京都市内を東西に貫く道路には、御所の南側の丸太町通りから順次、「丸竹夷二押御池・・・」と数え歌風に呼び名があり、それぞれの通りには特徴、あるいは独特の風土があった。

 京都に生まれ育ったものは、1200年の歴史のある道路に愛着を持ち、この町並みを誇りに思っている。京都の場合はひとの歩いたところに道ができたのではなく、できあがった道「大路小路」をひとが歩いたといえるだろう。道路という文明の装置の本来の在りかたといっていい。 

 道路は線だけでなく、周辺の町並みをも合わせた面として整備されるべきものだと考えている。現在の道路や、これから整備される道路が、500年、1000年のちにまで「文明の装置」として残す価値ある社会資本となるよう希求している。