■講演の報告


加藤氏の権力と領国体制

 吉村 豊雄熊本大学文学部教授・歴史学


・家康への接近、第三の石高九十六万石
 続いて、熊本大学文学部教授の吉村豊雄氏は、「加藤氏の権力と領国体制」と題して講演した。清正の書状から清正権力の特色の一端を明らかにしていき、清正の大名権力は一定の拡充安定が認められるが、家中との対立構図を窺い見ることができ、地方知行制に介入して権力集中をはかるには限界があった推察した。また、清正の熊本城築城開始時期について、築城決定時期が慶長三年に想定されることから、豊臣秀吉の死からさほど間を置かずに徳川家康に接近し同意を得たとみることが妥当であるとし、築造は親家康としての政治的旗幟を明確にした象徴であり、肥後における小西氏との間の関ヶ原合戦構図の原型は熊本築城計画・着工段階にでき上がったていたということが資料1つからも窺えることを述べた。
 さらに、郷高(五十四万石)と現高(七十五万石)という二つの石高の他に第三の石高「九十六万石」の存在を資料より示し、細川氏の石高と比較しつつ、これは蔵入地も含めた領地全体の石高として設定され、ある時期以降は一般的に機能していたと見ている。そして最後に、加藤氏と細川氏とでは大名権力や領国体制のあり方に相当な違いを実感したことを述べて締めた。