■ 3.福智王子の家族への思い ■

Adobe Systems母に別れを告げ、福智王子とその妻、幼い姫と乳母の紅梅、重臣ら一行は占いの玉が飛んでいった比木の地へと出発しました。比木までの道のりはそう遠くはありませんでしたが、王子の幼い姫が途中の宿の *10というところで病のため亡くなってしまいました。

「なんということだ。」

かわいい姫の死に全員が嘆き、悲しみました。しかし、一行はこの地に姫を埋葬し、必ず再び訪れることをその墓に約束してから、涙をこらえて先へ先へと進むのでした。

比木の地に着き、王子が持っていた杖を投げると、そこに根が生え、チシャノキの巨木*11になました。王子は、ここに居所を定めて住むことにしました。

しばらくして、かわいい息子も誕生し、平和な生活を送るようになりました。しかし、どんな時でも遠く離れた家族のことが頭を離れることはありませんでした。目の前を流れる小丸川を見つめては、川の上流に住む父と弟、そして下流に住む母のことを思いました。

10)[宿の坂]木城町と高鍋町の境付近の峠の坂。姫の墓と言われる五輪塔群がある。

11) [比木神社のチシャノキ]福智王子漂着伝説で、「杖を投げたるところにチシャノキの巨木がはえた」とある。比木神社境内奥には町指定のチシャノキがある。また、社殿横には、杖と言われるものが置かれている。

王子は、父と母への礼節は欠かさず、この地で採れた魚菜を里人に頼んで始終送りました。追われ人であるため普段は会いたい気持ちを必死でこらえていましたが、年にたった1度、正月にだけ、ふたつ重ねた餅を持って父、母に会いに行きました。この親孝行ぶりを知った里人たちは王子に同情し、そして敬いました。王子が父、母を訪ねる時は、

「うちにも寄って下さい」

「うちにも」

Adobe Systemsと競って王子を自分の家に招き、手厚く迎えました。そして、いつの日か王子に同行するものまで現れました。

母之伎野に会いに行くと、母は我が子が成長し立派になった姿を見て大変喜びました。しかし、家の中には決して入ることを許しませんでし *12。愛しい我が子と少しでも過ごすと情が移り、余計別れがつらくなるからです。母は毎日日向の海に向かって、本当の平和が訪れ家族で一緒に暮らせる日がくることを祈るのでした。

12)[大年下りでの祭事] 年一回福智王子が母之伎野を訪れる大年下りでは、鴫野の浜から塩水と石(浜餅)を持参するが、鳥居の外の石塚に投げ中に入らない。そのことから会えば母子の別れがつらいので鳥居の外までともいわれている。また、境内まで入れないのは大年神社の宝物がなくなるからとも言われている。訪ねてきた子供が帰っていく時に、 母が何かを持って帰らせるということなのかもしれない。