■ 4.戦いの時 ■

これらの土地での平和な生活は長くは続きませんでした。一族が日向の国に潜んでいるという噂は、三年目に本国に伝わりました。本国からの追手は肥前の国から上陸し耳川沿いに兵を進めました。

福智王子はその一報を、駆けつけた里人から聞きました。そして追手が、自分が守っている小丸川沿いではなく耳川沿いに父のいる神門みかどへと向かうと予測できなかったことを大変悔やみました。

小丸川沿いにいけば、今からでも間に合うかもしれない」

Adobe Systemsそう思った王子は、神門への近 *13である小丸川沿いの険しい山々を急進しました。途中、石河内、中股(中之又、雉野(鬼神野)、渡河(渡川の集落を通過すると次々に里人が集まり民兵となり、かなりの数の混成軍となりました。
 
そのころ禎嘉王は伊坂賀坂に陣をはって敵を迎え撃っていましたが、形勢利なく第二王子華智王子が戦死してしまいました。禎嘉王は兵の大半を失ってしまったため、やむなく名貫の里まで退却し、そこで迫ってくる敵軍を前に野に火を放ちました。

向かい風に火を受けた敵は火勢におされ後退しましたが、奮戦中の禎嘉王も流れ矢にあたって傷つきました。

福智王子とその軍勢が到着したとき、窮地に至っていた禎嘉王は目を疑いました。かつては自分に頼ることしかできなかった、あの福智王子が立派に軍勢を率いているのです。

「父上、助けに参りました。」

福智王子とその軍勢を見た敵軍は一時退却しました。しかし王子の軍が、農民が主の急場しのぎの混成軍とわかると再び勢いを取り戻し、戦いは長期戦となってしまいました。そのためだんだんと糧食が欠乏し、戦況が日に日に不利になってきました。

「もうすぐ食料が尽きてしまう。我が軍もこれまでか。」
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王子達があきらめかけていた時、たくさんの鹿の肉が敵の目を盗んで王子の軍に差し入れられました*14禎嘉王、福智王子の軍の飢餓の難を救おうと、益見太郎 *15という守護が中心となって神門の人々が猟を行い、多くの鹿を射止めてきたものでした。これに勢いを得た福智王子は再び逆襲に出て、ついに敵軍を破り、勝利を収めることができたのです。


13)[小丸川沿いにある神門神社] 宮崎県南郷村神門へは、日向(金ヶ浜)から陸路では、耳川沿いに行くが、南郷村に入ると小丸川と児洗付近で遭遇する。禎嘉王が眠ると言われている塚ノ原は小丸川河原にあり、神門神社も小丸川に面して建っている。また、師走祭りの際、小丸川で禊が行われる。しかしながら小丸川は急流で、木城石河内から中之又(木城町)、児洗(東郷町)と続く道は現在でも険しい。

14)[百済王伝説] 敵軍に囲まれ、糧食が欠乏したとき、禎嘉王の臣下が山中で鹿猟を行って飢餓を救ったとされている。

15)[益見太郎] どん太郎(どんたろさん)と呼ばれる神門地方に勢力を持った豪族の頭首で、武勇に優れた。百済王族を温かく迎え、追討された時援軍を送って王を助けた。