6.尾鈴山での出来事 ■

比木に下る途中の早朝、比木の地とともに占いの玉に映し出された立派な姿の山が目の前に現れました。

その地の里人にその山の名を尋ねたところ、

「あの山は尾鈴山*18だ。馬に乗った神様が住んでおられる山だ。その馬がつけている鈴の音を聞いて、

皆“おすず山”と呼んでいるのだよ。」

霞たなびく尾鈴山に引き込まれるように入っていくとやがて御霊が宿りそうな大木の中、沢の音とともに豊かな落水の音が聞こえてきました。一緒についてきた小丸川の下流に住む里人が言いました。

「豊かな水じゃ」。

里人は、水分の山として尾鈴山に雨乞*19の祈りを捧げているといいます。

「わしらの土地は大雨だと小丸川が氾濫し、降らないと干魃で何も穫れない。」

その言葉を聞いて、福智王子は初めてこの地に上陸したときに見た小丸川の氾濫を思いだしました。

いくつもの滝の音を聞きながら山頂に向かうと黄色や青色など美しく可憐な花々が咲いていました。ふとその時、霞の中光が射し込んでくる方向からカツ、カツと軽やかな物音が聞こえてきました。ゆっくり、ゆっくりと音が近づくと、霞の中から忽然と白*20が現れました。たてがみとしっぽを朝の涼風になびかせながら銀色に輝き、あたりを明るくしています。足音軽く、絵に描いたようなこの世のものとも思えない立派な白馬です。首には、光り輝く大きな鈴をつけています。白馬の鈴の音は山中に響き渡り、やがて銀色の光とともに王子のそばを通り過ぎていきました。

「里人が言っていた尾鈴山の神に違いない。」

白馬は、福智王子を振り向くと、まるでついてこいと言っているように山をいきおいよく下っていきました。

18)[尾鈴山] 小丸川東側の尾鈴山地の主峰(1405m)。昔新納(にいろ)山と呼ばれていた。古くから神体山として、神秘の山、ふるさとの山として畏敬されていた。東の原生林には尾鈴山瀑布群があり、滝修行の場として知られている。饒速日命(にぎはやびとのみこと)が鏃(やじり)を研いだという矢研ヶ滝の上には、乗って天降られたという天磐船(あまのいわふね)と呼ばれる大石がある。「男鈴山」「御鈴山」とも書き、尾根筋に自生する篠竹を「スズ」と称し、山名になったと言われている。頂上には、石祠と数百の鉾が堆くなっていてまた、格精という神木の大樹があり篠竹の繁茂で近付けない。樵は、山中で往々神楽の音曲を聞いたり、日中競馬場を見たり湖水を見たりする事があるといわれている。(日向の伝説)また、「おすず」は、尾鈴の山神が乗った白馬の首についていた黄金の鈴に由来しているともいわれており、馬の守護山でもある。また、この尾鈴権現は、女がのぼると大暴風を起こすため、参詣人は男ばかりだったとか、大層な白帆嫌いで頂上から見える海を行く船が白帆を掛けて通ると平穏な日でも必ず覆しなさったため、帆を降ろして通るのを常としたが、海の見えない所に遷座し奉り以降転覆の憂いが無くなったとの話もある。そのため、夏と冬海近くの人は一人残らず権現に参拝するという。

  「尾鈴山ひとつあるゆえ黒髪の 白くなるまで国恋ひにけり」(安田尚善)

  「ふるさとの尾鈴の山の悲しさよ 秋も霞のたなびきて居り」(若山牧水) 

19) [尾鈴の雨乞]新納・野別府の「代官目安」には、「尾鈴雨乞」の一項があり、比木神社とともに当地の雨乞いの代表地であったことがわかる。

20)[尾鈴山の白馬伝説] 「たかなべむかしばなし」に古老の話として次のような話が紹介されています。

昔々ある年の秋の朝、カツカツと軽やかな音が村中に聞こえ、その物音が近づき遠のくの様はあっというまの疾風のようであった。不思議に思った村の若者達が、次の日の朝物陰に隠れて正体を見届けていると、朝靄の中から実に見事なたくましい白馬が、銀色に輝いたたてがみと長い尻尾を朝の涼風になびかせながら現れたという。次の朝も待ちかまえていると、同じ時刻に現れ、尻尾の付け根には光り輝く大きな鈴を付けていて美しい鈴の音色が、音楽を奏でるように響いたという。決まって山の奥の方に消えるため誰言うことなくあの白馬は、山の神馬に違いないと言うことになったとのこと。また、冠岳の権現様は女神で、尾鈴山の権現様は男神で春夏二回、尾鈴の権現は白馬にまたがって山の稜線をぬって冠岳の女神に会いに行くとも伝えられている。