愛の星かがやく小丸川の郷

だから僕は人間的愛を、実に賛美し、それがますます生きることを望んでいるのだ。病的な愛や、排他的な愛を自分は賛美しないが、しかし夫婦の愛、親子の愛、朋友の愛、隣人の愛は賛美する。そしてそれ以上、国民としての愛、同胞愛、人類愛が人間に与えられていることを知り、それらの愛が調和して生きていくことを理想にしている。 (武者小路実篤)
「天に星 地に花 人に愛」武者小路実篤が選んだ小丸川の郷

武者小路実篤は人間尊重・人間愛の思想の実現、また人間が人間らしく生きられるユートピアの実現に相応しい土地を探していました。そして選ばれたのが木城町城なのです。「自分たちは峠から見下ろした。よろこんだ。あすこが我等の仕事の第一の根をはる処だ。幸あれ!」

武者小路実篤ゆかりの二地一橋

◇大正7年に武者小路実篤が同志とともに理想社会の実現を夢見て開いた村
                                     日向新しき村(風土資産絵図C-4)
◇世界の絵本に触れる森の絵本館や、自然の素材をつかった作品づくりを体験できる森のきこり館等日向新しき村の精神を活かし、21世紀を生きる子供達の豊かな感性を育む平成の新しい村
                                   木城えほんの郷(風土資産絵図C-3)
◇日向新しき村へと導く橋で、橋銘板は武者小路実篤の書
                                   中八重橋(風土資産絵図C-3)

武者小路実篤ゆかりの三碑

◇「心・無」と刻む新しき村の碑(風土資産絵図C-3)

◇「人間万歳」の文字を刻む 白木八重牧場の碑(風土資産絵図C-4)

◇「山と山が賛嘆しあうように 星と星が賛嘆しあうように 人間と人間が賛嘆しあいたいものだ。」と刻む 
                                          前坂展望台の碑(風土資産絵図C-4)

小丸川流域風土資産絵図

百済王漂着伝説の一家の系譜

百済王漂着伝説 家族愛を守り伝える小丸川の郷 

小丸川の郷には、百済の内乱から逃れてきた百済王一家の伝説が伝わっています。小丸川の郷には、この伝説に登場する百済王一家を祀る神社や、ゆかりのある地名、遺跡等が多く残されています。 一家は別々の場所に祀られていますが、小丸川で行われる郷の祭で町村をこえて年に一度対面することができるのです。

百済王漂着伝説三連祭

師走祭り:日本では大変珍しい古式な「袋神」を奉した比木神社(福智王を祀る)の一行が道中で百済王伝説に因む祭典を行いながら福智王の父禎嘉王を祀る神門神社(南郷村)に向かい、その後帰還する祭り。父と子対面のまつり 

大年下り:福智王(比木さん)が各所を巡遊し、母神之伎野(しぎの)を祀る大年神社(高鍋町)を年1回訪問するご神幸。母と子対面のまつり 

お里廻り:20箇所程の神幸先には福智王ゆかりの地や高鍋場も含まれ、福智王が漂着し難渋した時丁寧に迎えもてなされた御礼参りとも伝えられる  
百済王一家ゆかりの二所十社

◇百済福智王をまつる神社。百済王伝説ゆかりの三連祭の出発地  比木神社(木城・高鍋風土資産絵図B-2)

◇百済禎嘉王(福智王の父)と禎嘉王の第三子伯智王を祀る  神門神社(南郷村)

◇百済禎嘉王妃之伎野(福智王の母)を祀る  大年神社(木城・高鍋風土資産絵図D-2)

◇百済禎嘉王第二子華智王を祀る  伊佐賀神社(東郷町)

◇禎嘉王が壺に入れた子を置いていったと伝えられる  山陰神社(東郷町)

◇福智王の姉(または妃)を祀るともいわれる  宮田神社(木城・高鍋風土資産絵図C-3)

◇木城町比木神社の境内にあり福智王の子を祀る  若御子神社(百済負王漂着伝説マップ・木城町)

◇ 百済王が裳(帆)を広げた場所に建てられたといわれ、百済福智王を祀る
                       茂比呂計神社(木城・高鍋風土資産絵図C-3)
◇比木神社境内にあり,福智王の臣を祀る  一の宮神社(百済負王漂着伝説マップ・木城町)

◇比木神社境内にあり福智王の乳母だったという紅梅を祀る  紅梅殿(百済負王漂着伝説マップ・木城町)

◇福智王が蚊口浦に漂着して比木に向かう途中その子供が亡くなった場所といわれ、大年下りの際、この場所を通る時は子供がついてこないように笛や太鼓の音を止める  宿の坂(百済負王漂着伝説マップ・高鍋町)

◇禎嘉王の重臣が歯痛激しくたまりかね遂には亡くなった。  爪楊枝が歯のお守りのはがみ神社
百済王伝説ゆかりの一山・一木

◇神聖視された山で師走祭りの時は必ず遙拝することになっている  清水岳(原名山神・百済負王漂着伝説マップ・南郷村)

◇百済王が投げた杖が根付いたといわれる   比木神社のチシャノキ(木城・高鍋風土資産絵図B-2)
百済王伝説ゆかりの八地名

◇百済王が水に濡れた裳(帆)を広げて乾かしたところといわれる 茂広毛(もひろげ  高鍋町)

◇百済王が水に濡れた鞍を掛けて乾かしたところといわれる 鞍掛(くらかけ  高鍋町)

◇百済禎嘉王妃、之伎野(しぎの)に由来するといわれる 鴫野(しぎの 高鍋町)

◇百済王が矢を放った所で、「やさか」が「はさか」になったといわれる 羽坂(はさか 東郷町)

◇禎嘉王一行の中に赤ちゃんが誕生したところといわれる 児洗(こあらい 東郷町)

◇禎嘉王が最も信頼した重臣が歯痛のために死去した場所といわれる 歯噛(はがみ 東郷町)

◇産湯を使ったところといわれる 産野(うぶの 東郷町) 

◇「おろし児」は禎嘉王の王子が生まれたところといわれる 卸児(おろしご 東郷町)

◇古代朝鮮語で村長を意味する「村主(すぐり)」に由来するともいわれる 勝利(すぐり 高鍋町)
百済王伝説を伝える二宝

◇禎嘉王が百済から持ってきた二つの壺のうちの一つといわれる  神門神社の須恵器の甕

◇矢野家に代々伝わる 禎嘉王の杖
百済王伝説ゆかりの四墓

◇比木神社の墓地内にあり、百済福智王の墓と伝えられる 
                    比木神社墓地内五輪塔(木城・高鍋風土資産絵図B-2)
◇百済禎嘉王妃之伎野を祀る大年神社近くにあり、之伎野の墓と伝えられる
                      宮ヶ谷の五輪塔(木城・高鍋風土資産絵図D-2)
◇百済禎嘉王の墓と伝えられ、師走祭りの祭事が行われる  塚の原古墳(百済負王漂着伝説マップ・南郷村)

◇百済王地方豪族どん太郎の墓と伝えられる  どん太郎塚古墳(師走祭り神門神社周辺行事マップ)

百済王伝説ゆかりの二家

◇福智王が世話になり、お里廻りの際は必ず立ち寄り礼を尽くすという。隣家の谷口家のお茶をもてなされる。
                                                       永友家(高鍋町)
◇建築中の家の2階から祭を見たところその家が火事になり,神様を見下ろした罰が当たったのだと言われ、次の年から大年下りの時この家に毎年必ず立ち寄るようになったといわれる    佐川家(高鍋町)
百済王伝説ゆかりの二石塚

◇師走祭の際小丸川の河原で二個の石を拾い、白紙に包み左肩にかついで石塚に置くという祭儀がある
                          神門神社参道のそばの石塚(師走祭り神門神社周辺行事マップ)
◇大年下りの際、祭の行列は海辺から二個の浜石を拾って左肩にかついで石塚におく習わしがある
                                     大年神社の石塚(木城・高鍋風土資産絵図D-2)
百済王伝説を伝える三施設

◇百済王族の遺品といわれる三十三面の銅鏡等を展示しており、博物館の建物は奈良の正倉院を再建
                                    西の正倉院(小丸川流域風土資産絵図A-2)
◇韓国の古都プヨの名所落花岩に建つ「百花亭」を再現した  恋人の丘(小丸川流域風土資産絵図A-2)

◇韓国の古都プヨの王宮跡(現国立博物館)に建つ客舎を忠実に再現した物産館と 歴史資料館 
                                       百済の館(小丸川流域風土資産絵図A-2)

「敬天愛人」石井十次を育んだ小丸川の郷

石井十次は1865年に、宮崎県児湯郡上江村(現高鍋町)で生まれた。22歳の若さで「孤児救済」に着手し、児童福祉に生涯をささげた彼は、まさに「愛の使者」であった。「爾高鍋よ 爾は予が 理想的人物を養成するに於いて 最も適当のところなり」

石井十次ゆかりの四所
◇石井十次岡山県医学校に入学するまで石井十次が育った家   
                      石井十次生家(木城・高鍋風土資産絵図C-2)
◇石井十次が岡山から木城町茶臼原に移転した孤児院で、現在も施設の一部が保存されている
                                        石井記念友愛社(木城・高鍋風土資産絵図B-2)
◇石井記念友愛社の施設の中につくられた資料館   石井十次資料館(木城・高鍋風土資産絵図B-2)

◇茶臼原をのぞみ孤児の父十次が眠る   石井十次の墓(木城・高鍋風土資産絵図B-2)

石井十次ゆかりの三碑二像
◇生前十次と頻繁に文通していた明治の文豪徳富蘇峰の直筆   
                         石井十次生誕の碑(木城・高鍋風土資産絵図C-2)
◇帰国途中の所感 高鍋を「教育の最適の地」と称える三連の詩
                           石井十次詩碑(木城・高鍋風土資産絵図D-2)(高鍋美術館)
◇高鍋の玄関高鍋駅にある
      「石井十次顕彰碑」と「孤児の父石井十次先生誕生の地 高鍋」の碑(木城・高鍋風土資産絵図D-3)
◇次の暖かい人間愛に学ぶことを期待して立てられた石井十次と孤児二人の立像 
                             石井十次と孤児銅像(木城・高鍋風土資産絵図C-3)
◇十次誕生百年を記念し生誕地に近い西小学校の教育の象徴である  
                                      石井十次鋳像(木城・高鍋風土資産絵図C-2)
人々の暮らしを守り育んむ秋月家が治めし小丸川の郷

四代種政ほどこし勧農・治水九堤四井手五開田四川除

◇(堤) 谷坂堤(高鍋藩最初の堤)、谷坂新堤、長宝寺堤、日置新堤、持田檜谷堤、上江わし谷堤、雲雀山堤、
 椎木岩淵堤浚、福嶋西方姥ヶ迫堤

◇(井手)西別府新井手、平田垂門新井手、野別府新井手修復、野別府名貫新井手

◇(開田)日置水末開田、平田中河原開田、野別府白鬚開田、野別府竹浜村新田開発、楠子(師)谷仁君谷開田

◇(川除)馬場原下川除、安蔵川除、佐久間土手、高城・藪川除土手堀切


五代種弘ほどこし勧農・治水 十堤三井手一開田三川除

◇(堤) 檜谷の上の古堤、檜谷新堤、雲雀山古堤繕い、福嶋本城上田谷新堤、福嶋都井中石ヶ野谷新堤、
      岩淵堤浚、椎木にたり堤、日置新堤、高城永山新堤、椎木寺山新堤井手

◇(井手)持田羽坂井手修復、川南竹浜新井手、野別府井手修復

◇(開田)日置三納代開田

◇(川除)馬場原川除修復、兀ノ下・萩原・高城藪ノ下川除、小丸後大川除