美と愛と歓喜
 三つの星が天にかがやく 小丸川の郷
   なんといっても
   人生には
   美と愛と歓喜が
   あることは事実だ
   その他のものがあるからといって
   三つのものがあることを否定することはできない

   私は意識せずに
   この三つのものを賛美してきた
   今後は意識しても
   この三つのものを賛美したいと思う
美と愛と歓喜 この三つの星が
天にかがやく美しさ
人生の旅人は
それをときどき仰ぎ見ながら
感謝の涙をながすのだ

この三つの星が
人生を照らさなかったら
人生はどんなに荒廃するだろう
ああ三つの星
美と愛と歓喜
                 
(武者小路実篤)
美の星 入口 愛の星 入口 歓喜の星入口 豊かなる小丸川入口
自然・文化
百済王・石井十次・実篤
歴史遺産・先人の偉業
三つの星をもたらす恵
小丸川は、九州中央山地の三方岳に源を発し、南郷村に入り急峻な渓谷を刻みながら東に流れ、東郷町にて南に向きを変え渡川に合流し、木城町に入る。尾鈴山の西麓に沿って流れ、三石渓谷を下った後平野部に出て東流し、高鍋町に入る。切原川、宮田川の支川を合わせた後に日向灘に注ぐ、流域面積474平方km、流路延長75kmの河川である。また、郷に多くの恵みをもたらす「豊かなる小丸川」である。
 
 この地の豊かな自然は、世界でも尾鈴山でしか見られない固有種である「キバナノツキヌケホトトギス」や台湾からはるばる飛来し根をおろした、鉾に似た葉をもつ「ホコガシダ」、世界でも伊勢と高鍋周辺にしか見られない「ヘビノボラズ」等々の植物、我が国に住む最も小さな幻の「ハッチョウトンボ」といった希少動物を育んでおり、まさに「美の星かがやく郷」である。

 またこの地は、「愛の星かがやく郷」でもある。小丸川の郷には、百済の内乱から逃れてきた百済王漂着とその一家の伝説が伝わっており、その物語は家族愛をまさに現在に伝えるものである。 明治時代になると、小丸川の郷はまた一人の「愛の使者」を輩出した。1865年上江村(現在の高鍋町)で生まれた石井十次は「孤児の父」と呼ばれている。そして大正7年には、人間が人間らしく生きられるユートピアの実現にふさわしい土地を探していた武者小路実篤は、この地に新しき村の開墾を始めた。
 
氾濫で悩まされる地は、その一方では干ばつにも悩まされる地でもあった。地元、比木神社に百日祈願の満願の暁に聞いた通水の順序を教える大明神からのお告げから開削したとの伝説が残る、長友勘右衛門が開いた「太平寺用水路」や、絶望の井出とも呼ばれ小丸川からの取水に幾度となく失敗し、乗り越えて山口弘康が開通させ、郷を潤す恵みの水となった「広谷用水路」を始め、先人の努力の跡が残され今なお「歓喜の星かがやく郷」である。